natsukodachi

仕事を辞めて専業大学院生になった

前回の記事から一年経ってしまった。もっとこまめに書くべきだった。

あれから準公務員(大学職員)の仕事を辞めて、大学院生になった。いわゆる出戻り大学院生である。

今回はなんでこんな大学院とかお勉強とかやってるのかってこととその経緯を書きたいと思う。 院進にあたり先輩方の自伝を大いに参考にしたので、自分も記録を残したい。

なんでお勉強してるのか

そうじゃないと心が死ぬから。今だと大学院以外にも道があることが分かってるからいいんだけど、当時の私はそれが私の手が伸ばせる唯一の光で、それに向かって走らないと暗闇に呑まれて一生そのままだと考えていた。人によってそれは恋人だったり、キャリアだったり、旅行だったり、創作だったりするんだけど、それしかないという状態が人にはあるのだと思う。

大学院入試を受けるまで

ほぼ毎日日記をつけているので過去の自分の考えや行動理由が容易に確認できる。

2月:2/22に大好きなゲームのDLCが配信されて、もう本当に面白くて、これを遊べたから私の人生はノルマクリア、あとの人生はボーナスモードだから好きなことをやろうと思った。

んで私は新卒入社して財務担当になったんだけど、財務の人ってずっと財務畑をやるらしくて、私は帳簿よりターミナルの黒い画面と睨めっこするほうが死なないなと思った。新卒一年目の頃は仕事のやり方が下手だったから、気分が鬱々するのが日常だった。ここから抜け出せないという実感だけが大きくのしかかる。心がどこかへいってしまう。鉄分が足りなかったのもあると思う。

3月:ある時、気分がどん底に落ちて、職場でおなかが痛くなって、もう帰ろうかと思ったとき、落下の反動で気分が急上昇して、ああそうだ大学院に行こうと思った。そう思ったら心が戻ってきた。

学位自体は就職する前からいつかほしいなと思っていて、社会人大学院の話はネットで読んでいたから、その記憶を頼りに調べまくって、三日後がAIITの科目等履修生の申し込み締め切りであることを知って、急いで書類を提出した。AIITのことは前の記事に書いた。単位バンク生制度がなかったら私の心は死んでしまっていたと思うので、AIITは命の恩人です。

4月:あんまり記憶ない。財務の締め処理と科目等履修生で忙しかったと思う。 日常に学びの場があるという新鮮さと喜びって社会人向け大学院にしかないよ。授業開始一か月前まで科目等履修生を受け入れてくれるのが本当に有難い。学びの根源的な喜びがそこにはあった。東京都立産業技術大学院大学には感謝してもしきれません。自分は研究がやりたかったのと、将来的にはエンジニアになりたかったから(AIITは新卒就職支援があんまりなさそう)、日中の通常の大学院に進学したけど、AIITにはまた機会があれば通いたいと思う。

5月:日記「”個”が消える、ソウルジェムが濁っていく、心は大事だから手放すのを辞めろ」

6月:記録がないので定かではないが、おそらくこのあたりで昼間の大学院に通うことを決める。つまり、社会人大学院生ではなく、仕事を辞め専業大学院生になるということである。あと、好きなサウンドデザイナーが退職してフリーになったことを知って、彼が辞めるなら自分も辞めてええんやねとか考えていた。

7月:AIITの授業が難しい。Python分からない。応用情報に3点足りず落ちる。

日記「心って折れるもんなんだなあ!死にたいね。辛い。すごいね、人は悲しくならないように、悲しさの温度計を切ってしまうんだ」

8月:院試のためにTOEICを受けはじめる。負けたくない。頑張りたい。

9月:NAISTと筑波大の研究室見学に行く。NAISTは自然豊かで綺麗で広くてお金もありそうで、研究には最適な環境だと思った。ただ、NAISTは第二回の試験以降はTOEICの点数が厳しいらしく、受けるなら来年度の第一回入試をおすすめされた。筑波大は冬院試も受験可能と言われたので、今年度は筑波大を受けることにした。受験計画が実現してきたことと、splatoon3のゲーム内イベントが本当に素晴らしかったことで、かなり心身の状態がよい。

日記「不安で眠れなくなるのは、自分の弱さだから、強くなるか、弱さを受け入れる広さがないと。赦してあげよう。赦すことは弱くなるけど、全て、最後に、帳尻が合うはずだから、歩いて行こう。」

10月:秋は大変だった!秋人事で係の上司が異動し、なんと私が係で一番偉い人になってしまった(採用二年目の平社員なのに)。それで係長とか主任の仕事が増えて、そのうえで応用情報試験を受験したりTOEICを勉強したりしてたから大変だった。そういうわけでAIITの授業はうけてないし、競プロも全然やってないし、悩む暇も日記を書く暇もなかった。 このあたりからウマ娘を再開して、ロブロイの「英雄になるには圧倒的でなければならない」とかアヤベの覚悟とかマチタンのこつこつ頑張るとか、そういうので自分も頑張れたから感謝です。

11月:院試までにTOEICは四回受けて、三回500点、一回700点でギリギリ間に合った。

日記「人は未来をみることはできないから、人は信じることしかできないから、だから腹くくってやるしかない」

12月:一年で二番目に忙しい週と、院試出願が被ってなかなかギリギリだった。書類関係は同じプログラムの知人の先輩に見てもらえました。先輩には受験相談からスライドのチェックまでお世話になりました。先輩がいなかったら絶対に受かっていなかったと思います。三度目の正直で応用情報が受かったので本当に嬉しかった。

1月・2月:あとはもう受験するだけ。落ちてもデメリットないし、また受ければいいし(まあ受かったんだけど)。

おわりに

怒涛の一年間だった。合格は勿論嬉しいけど、それよりもここまでこれたのは自分と他の人の頑張りがあったからで、それが一番嬉しかったしありがたかった。受験に至れたこと自体が自分の中では夢物語だったので、それが現実になったことがまじでデカイ。 上司からは自己研鑽休業も提案してくれたけど、なんか休業中でもアルバイトは副業になって、副業禁止だからアルバイト禁止らしく、流石にそれじゃ生きていけないので退職しました。今は知人のスタートアップで経理と開発をやっています。これも雇ってくれないと生活できないので本当に感謝です。 大学院ではCGの研究をします。大好きな自然物理とプログラミングの融合分野なので本当に嬉しいし、頑張ります。

ほんとはきっと、ずっと前から大学院に行きたかったのだと思う。多分。だけどそれは無謀すぎると選択肢になかったのだ。それがどうだろうか、紆余曲折を経て、大学院に昼学生として入学するチケットが私の手にあるのだ。だからちょっとずつでも歩いていけるとよいです。そしたらいつの間にか目の前にやってきます。まじで。びっくりだなあ。それに直線ルートじゃないほうがいろんな景色が見えたりする。もう、大学院に行くことが目的ではないです(行くけど)。歩む道が違くとも、向かう先さえ決まっていれば、いつか必ず交わるときがくるでしょう。まあその前に力尽きるかもなんですけど、だから、まあ、健康第一で。

NAISTの研究室見学に行った日が去年で最も印象深い日だった。朝4時半に家を出て、半分寝ながらバスと電車と新幹線を乗り継ぎ、夢見心地で京都駅に降り立ち、NAISTに訪問した。帰りに大阪に寄り、人の主流に乗って梅田の地下を歩くといつの間にか阪急百貨店だった時に、急に今自分が仕事を休んで異郷の地にやってきた実感が湧いてきた。自分の思い切りのよさへの畏怖や、周りの状況変化のスピードに理解が追いついていない感じが本当に夢のようだった。

未来の自分のために種を撒くとよい。良し悪し問わず過去の行いが現在の状況を作り出すし、結果は責任を持って自分で刈り取らなきゃいけない。これ自分で考えて至った悟りの一つだったから嬉しかったんだけど、なんかシェイクスピアも似たようなこと言ってたらしい。つらい。大体のことは誰かが考えているもんだね。

幸せはさあ、結局自分でしか作れないから、自分でお花や木を植えていきましょうね。

#大学院 #お仕事 #雑多